ラムはいつかひつじになる

フツウの家庭の子が病院の先生をめざすおはなし

成長の早い女の子たちに囲まれて

よくできる女友だちがいました

 

月齢が同じ友だち

近くの町内会館で
一歳までの子が集える
集まりが月に一回ありました
自治体が主催なのでもちろん無料
第1子のみ参加OKなので
大きい子もいません

ネットも普及していない時代
情報はそこから得ていたようにも
思います

「らららぞうきん」
ここで学びましたね

学んだことはそれだけでなく
友だちもできました

以前習い事の記事の時に紹介した
みぃちゃんとしぃちゃんです

女ともだち

同じ月齢の
みぃちゃんとしぃちゃんと
友だちになりました

初めて会ったのは6月だったので
まだ2か月目のことです

ママの年齢は
わたしが一番上で
ひとつ下がみぃちゃんのママ
もうひとつ下がしぃちゃんのママ
まぁ ほぼ 同じですね

三人とも地元の人間ではないので
周囲に友だちがいるわけでもなく
それからは
頻繁に会うようになりました

母たちは今も続いています

みぃちゃんとしぃちゃんも
続いているようですし
ラムとしぃちゃんも
先日会ったときには
しぃちゃんの妹に付き合ってるの?と
勘違いされるほどフレンドリーに
話していました

みぃちゃんは違う区へ引っ越しましたが
成人式の日には
みぃちゃんとしぃちゃんに呼び出され
会場付近で一緒に写真を撮ってもらい
みぃちゃんのママが写真を送ってくれました

ありがたいつながりです

女の子の成長ははやい

女の子の成長は早く
歩くのも
しゃべるのも
おむつがとれるのも
字を読んだり絵を描いたりするのも
ふたりともとても早く
ラムは刺激を受けまくりでした

特にみぃちゃんが早かった

カタカナを読んだ時には
しぃちゃんのママと
「うちなんて ひらがなも無理…」と
嘆いたものです
ただ 今思えば
みぃちゃんは
とても成長が早かったのです

ネットの情報もない時代
どのくらいの月齢で何ができる的な
目安は
雑誌「ひよこくらぶ」などで
得ていたものの
あまりわからずじまい

成長の早い女の子たちに囲まれると
勝手に成長してくれる部分もあり
多少助かったかもしれません

おむつとおねしょに関しては
ラムがあまりにとれるのが遅くて
わたしも心配だったのだけど
女の子ママたちにも
とても心配されましたが
男の子としては
まぁしかたないでしょの範囲でした💦

男の子と女の子の成長に
違いがあるなんて
あまり知らない新米ママでした

後悔していることその2-音読について-音読させればよかった

そろそろ入学式も終わり
学校生活が始まる頃でしょうか
なんで?と思う宿題も
今思えば 大事だったと思うことあります
ご参考までに

小学生の宿題

今もあるのでしょうか?
ラムが小学生の時
「音読」の宿題が毎日ありました
どういうシステムだったか
詳細は覚えていませんが
国語の教科書を読んで
わたしが〇を付けるシステムです

最初は教科書2冊ほしい…と
思うくらい真面目にやってました

ラムが読んでいる間
横で見ていないといけないからです
一字一句見てました

ただ それもしばらくすると
ラムは言い出しました
「めんどくさい」
「みんなちゃんとやってない」
「ラム できるし」
どれもが正解です
めんどうでしょうとも
お母さんもめんどうだと思っている
みんなちゃんとやってないのも知ってる
ママ友たちもそう言っている
ラムがある程度読めるのも知っている
なんで音読する必要があるのかと
私みるく自身が思ってしまっている


わたしだって めんどくさい
「これ 一字一句じゃなくてもいいのかな?」
とか
「なんとなくできていればいいか」
とか

最終的には
時間なくてやらなくても 〇にしたり
ダメな母でしたね

やらせればよかった音読

「学校の宿題なんだからやりなさい」
そうは言っていたのだけど
夕方暗くなるギリギリまで
公園で遊んできて
ごはん食べて
お風呂入って
ぐったりして
「音読!」と言っても
やるわけがありません
先生たちもそれをわかっているのか
厳しく追及もしません

もしやらせていれば

どうなっていたか
それは結果的にはわかりませんが
けれど 少なくとも中学の時
声を出して英語を発声したり
暗唱したりすることに関して
抵抗感が少なかったのではないかな
と 密かに思っています

英語が苦手過ぎた ラム
音読をもっと身近なものにしていれば
多少はちがっていたかもしれません

とても大きな後悔です

 

moko-money.hatenablog.com

 

 

「虎に翼」をみて心うたれたこと

母のことば

弁護士をめざす寅子のおはなし
その母を演じる石田ひかりのことばが
心をうちました

私も同じかもしれない
「親に幸せとは」を語られて
育ちました
制限もかなりあり
母のコトバがすべてだと
思ってしまっていました…

だからこそ
子には好きな道を進んでほしいと
願って育てたつもりです

子どもの未来を親の意見で
左右しちゃいけない
そう思って子育てしたつもりだけど
それは どれだけ 
子どもに届いているかしら

子どもがやりたいということ
叶えてあげられたかしら?

そしてラムは
「地獄をみる覚悟」はあるのかしら?

そんな言葉のセレクションは
できなかったけど
「大変だよ 過酷だよ
 覚悟してるの?」
とは 何度も言いました
きっと 覚悟がなければ できない仕事

叶えたこと叶えてないこと

やりたいこと全部を
きいてきたわけではないけれど
どうしてもやりたいということは
きいてあげることはできたのかしら?

いつか聞きたい気もする
けれど それは怖い気もします

寅子の未来が楽しみです

部活とお金

 

春になりました
新入学のシーズンですね
こちら中の中の中流家庭なのに
私立の医学部に進んでしまった子を持つ母の
ブログです

ちょっと盛るかもしれません
ちょっと隠すかもしれません

誰かの参考になればいいなと思って
軽い気持ちで書いています

私立医学部に進学したフツウの家庭の主婦が書くブログです
筆者は決して高学歴でもなく大金持ちでもありませんので
あしからず・・・・

部活に入ろう

情報が全くない中
頼りになるのはSNSなどネットの情報
ラムの高校時代の友人も
いたようなのですが
春休みにあったときは
学校情報よりバイト情報をGET
していました

大学に入り
「やはり周りも部活に入るみたい」
と 

いくつかの部の勧誘活動に乗っかり
練習に参加したり
ごはんを食べさせてもらったり
そんなことをしたなか
運動部と文化部に兼部することになりました

心配事

母みるくとしては
お金の心配が一番ありました

わたしも大学で運動部に所属していたのですが
飲み会や合宿 ユニフォーム等に
けっこうお金がかかりました

ただ 選んだ部活が
それほどお金のかかる部活では
なかったようで
その心配は ご無用でした
お友だちも お医者さんのおぼっちゃんや
自営業のおぼっちゃんなども
いるようですが
金銭感覚が同じような感じなそうです

あわせてくれてるのかも
しれませんが💦


OBたち

試合にOBが差し入れ持ってくるのは
どんな大学でも一緒でしょう
わたしの時もそうでした

「先生たちがくる」というので
先生?顧問?なんて思っていたら
よくよく考えたら
「OB」「医者」でした💦

恐るべし 医学部
なんて 思ってしまったのでした

 

 

帝王切開だって尊い

 

帝王切開が悲しかった

帝王切開です
今は産み方に対して何か言われることは
あるのかしら

さすがに20年前も
そういうことがあったわけでは
ないけれど

まだ それほどネットがさかんでない時代
妊婦さん同士の横のつながりがあるわけでなく
年長者からの意見として
帝王切開はダメみたいな雰囲気が
ありました

やむを得ずの帝王切開
初めてそれを告げられた時
私だってくやしかった

帝王切開尊い

普通分娩と帝王切開どちらが大変なのか
1人しか生んでいない私には
わかりませんが

どちらも尊いのです

どちらでも同じお母さんに
なることなのです

愛情だってたっぷりです

お腹切ってるから
産後の前ダッコの腹蹴りは
とてつもなく 痛かったです

こちらでも帝王切開の記事
書いてます
↓↓↓↓

moko-money.hatenablog.com

習い事のこと その3

書道の先生は
わたしでした

まさかの書道

書道をしたいと言い出しました
書道するくらいなら
英語しない?と 聞いたけれど
書道の一点張り
まだ 学校では習っていなかった頃から
わたしがお世話になっていた
書道の先生に なついていたせいかも
しれません
「先生が お稽古の日においで」
と言ってくれて
お稽古に参加したり
書道の作品展のお手伝いをしたり
普通の子よりは
書道が身近だったかもしれません

見学にいく

所属していた書道会の
教室が通える距離にあったので
見学に行きました

一年生が歩いていくには
かなり遠い場所だった上に
先生の教え方が
わたしの知っている教え方と
あまりにかけ離れていたので
そこには行きませんでした

わたしは小学生までと
中学生からと
違う先生に習っていたのですが
その二人ともと違うやり方でした
詳しくは覚えていないのですが
少し抵抗があった記憶があります

見学した教室は
遠いからということで
お断りしたのですが
ラムの熱は冷めず

書道会で 師範の資格はとっていたので
結局わたしが 家で教えることにしました

師範の資格があったので
みるく書道教室と名乗り
検定や書初めや夏の課題も出して
時々本にも載ってました

結果的に長続き

結果的に やってよかったのです
わたしが教える書道は
小学6年生でやめたのですが
あちこちで学校代表に選ばれ
自ら進んで 席書大会にも出ていました

高校でもいろいろやってましたね

ノートの字は
汚いんですけど…

と 思って
字が汚いからケアレスミス
多いと思うと
面談で担任に言ったら
「きれいな方ですよ」と 
言われました

とにもかくにも
ピアノだけでなく
書道の方も
本人がしたいと言うものを
やらせてあげて よかったな…と 
今では思います

本人がやりたいと言っても
やらせなかった サッカーのはなしは また…

習い事のはなし

 

moko-money.hatenablog.com

 

moko-money.hatenablog.com

 

 



よく食べるラム 食に興味があったのかな

ラムはなんでもよく食べる子で
助かりました

 

moko-money.hatenablog.com

 

バイキングが楽

楽だったので
夫ミキとラムと二人でバイキングに行くことも多々

 

moko-money.hatenablog.com

 

「バイキングとりに行くの大変じゃない?」
と よく言われたのですが
その「大変じゃない?」ということば
他の子と出かけるまでわからなかったのです
というのも

目の前のものを 払い落とすのは
眠すぎて 機嫌が悪すぎて
爆発した時にしたことあるかなぁ…程度

ひとりで座らせておいても平気で
(もちろん同伴者に見てもらって)
さすがに 私が席を離れるときは
食べ物をテーブルの中央に置いて
手が届かないようにして 
手にパンを持たせて勝手に食べている間に
ささっと とりにいったりできたのです

あとはが異様に好きだったので
子ども用の器に豆を入れておいたら
ひたすら 一粒ずつ 豆を拾っては食べ
皿に落ちたら また 拾い なくなったら
「もっと」という技?を見た 学生時代の友だちは
驚きました

数年後 自分の子どもとバイキング行って
やってみたけど 全然ダメだった…と
嘆いたのでした

ラムの友だちのことを思い出して思うのは
食に興味がある子と 
食に興味がない子
乳幼児って どちらか 両極端だったのかな
と 思います

食に興味があり なんでも食べる子で
母みるくは 食の面では楽させていただきました

 

朝日新聞の働き方改革の連載を読んで

2月14日から4日間連続で
朝日新聞
「サヨナラ白い巨塔 働き方改革2024」
という 連載をしていました

ラムに電話した時に
記事を見せたら
「今朝 ばぁばが朗読してきた」

母の心配も同じです

 

朝日新聞の連載

医者になりたいというのが
現実味を帯びてきたときに思ったのが
過労死問題や
医療過誤問題

そういう記事やニュース
さらにはドラマなどを見るたびに
とても心配になります

考えすぎだと言われるけれど
医者にならなければ
遭遇しない重い問題に直面しないのだから
医者になんてならなくていい」
と 思っていたのです

高校時代なんて
どれだけ 学部チェンジを勧めたか…
でも 気持ちはかわらなかったラムでした

親の心配

今回の記事は 

  • 過酷な医局勤務のおはなし
  • 医師夫婦の働き方改革
  • 女性医師の働き方について
  • 全国医師連盟と全国医師ユニオンの方のおはなし

として まとまっていました


教師の過労死や時間外労働の記事もよく見ます
問題があるのは
医師や教師だけではないのでしょう

親としては
働く環境がもっともっと
快適なものであればいいと
思ってしまいます

女性医師の働き方

三日目の女性医師の働き方については
お医者さんの世界だけでなく
どこの世界にもいえる
働き方の工夫のひとつだなぁ と思います

「不適切にもほどがある!」
のドラマではないけれど
昭和がすべて悪いというわけでも
すべていいというわけでもないけれど
働き方や環境についても
改善していくことを 心から願います