ラムはいつかひつじになる

フツウの家庭の子が病院の先生をめざすおはなし

お金持ちではありません2

私立の医学部に行っているというと
お金持ちなんでしょ
と言われます

お金持ちでない我が家

お金の話すると
それでも…と 言われるかもしれません
確かに 平均よりは多く
いただいています

そこは 正直にお伝えしますね

最初の頃は お給料 安かったですよ
ホントに
家を買うときのローンは
住宅金融公庫からだけ借りるつもりが
数万円足りなくて
2か所利用しなければならなく なったんですもん

そうすると当然 ローンは多くなります
さすがに悔しくて
頭金を 父に少し借りようと
夫ミキに行ったのですが
プライドだったのかな
拒否されました

一度でも拒否されたら
それ以上は突っ込みません
諦めました

おうちも諦めることも考えたのですが
ある理由で お買い得物件だったのです
わたしも働くことを考えていたので
思いきりました

まずは一か所 すぐに返してやる!

おかげで そこから貯蓄に
目指めたのかも しれません

爆速返済

みるく 爆速返済を目指しました
みるくの稼ぎ+貯金がたまったら
すぐ繰り上げ返済

今みたいに ローン返済手数料
みたいなのもなかった
大手銀行のローンでした

返済完了が思ったより早くできたのは
そんな 失敗があったからかも
しれません

失敗は成功 転んでも ただではおきない

あのとき、失敗したのが
のちの学費につながったかも しれません


そして あの時 あの時の給料相当の
おうちにしておいてよかった!

お金持ちではありません

私立の医学部に行っているというと
お金持ちなんでしょ
と言われます

お金持ちでない我が家

私立の医学部に行っていると
「そこそこお金持ちなんでしょ」
と言われます
あるいは「実家が大富豪なんじゃない?」とか
とんでもないです

サラリーマン家庭です

一般的な実家

みるくの実家も夫ミの実家も節約一家です
みるくの実家の父は
職業的に平均より多めのお給料を
いただいていたのだと思いますが
節約家の母に
「うちは貧乏だから」と言われて育ってきたので
節約体質が幼いころから
習慣として身についていました

そういうわけで
節約が苦でもなんでもない性質です

ある程度好きなものは買うので
徹底しているわけではありませんが
必要以上に高いものには
興味を示しません

実家も我が家も車がない

偶然にも両家とも車がありません
だからなのか我が家も車がなく
ここまできました
車検などもないので
その分貯金できました

サラリーマン家庭

夫ミキの会社は大企業というわけではなく
中堅企業のサラリーマンです。

若い頃は給料は少なかった…
少ない給料で
貯金命の私みるくは少しずつ貯金体質に
それがよかったのが悪かったのか

おかげで学費貯められました

わたしにとって節約は
趣味のようなです

その趣味のおかげで
もしもに備えられました
趣味役に立ちましたね

「書いて覚えなさい」を言っても聞き入れなかったラム

あけましておめでとうございます
お正月明け早々 大変なことが起こりました
特に阪神大震災で被災した身としては
震災には心が痛みます
被災地の方々のケアと復興を心より願います

年末からラムは帰ってきています
今年は成人式があるため長期帰省中です
そんなラムの言葉に 嬉しく思ったこと です

 

書いて覚える派

医学部の勉強というものは
やはり大変だそうで
友だちと学校だけでなく
ファミレスなどで勉強することも
多いということです

そんな日常を教えてくれているときに
「ボクは書いて覚える派だから」と 言いました

書いて覚える?!
まさかラムがそんな言葉を発するとは

完全否定「書いて覚える」

中学生の頃英語は苦手でした

 

moko-money.hatenablog.com

「書いて覚えなさい」
何度言っても 
「書かなくても覚えられる」

眺めて覚えられる子ももちろんいます
復唱するだけで覚えられる子ももちろんいます
あなたは トンビが生んだタカではない
カエルの子のカエルなんだから
地道に勉強しないとできるわけない
と 心の中で怒りさえ覚えたこともあります

それは何年も続きました

あれ?書いてる?とふと思ったのは
浪人してからでしょうか
家に散らかる裏紙に文字がたくさん
書きなぐられていました


そして今書いて覚える派

ボクは書いて覚える派だからと言ったラムに
みるくは言いました
「お母さんが 書いて覚えなさいと言ったこと
 覚えてる?」
「覚えてる」

それしか 言わなかったので
本人は どう思っているのか どう感じているのか
それは 全くわかりません
「もっと早くしておけばよかったじゃん」と
心の底から思いますが
自分で気づいた今の状況の方が
結果的によかったのかな と 思います

結果オーライ そう 思いました

 

夫ミキはイクメンであった

イクメンという言葉は
いつからあったのかしら?


20年前からイクメン

イクメンという言葉が
いつからあったのかしらと調べてみると
2000年ころにイケメンが出て
それから派生したものだそうで
ラムが生まれたころには
コトバとしては もう存在したかもしれません

今ではそれほど珍しくないイクメン

夫のイクメン事例も
記録していきますが
一番思い出した 一つ

ミキ&ラムでピザバイキング

家族でよく行った
1000円ちょっとのお手軽ピザバイキングの
お店がありました
ラムの食欲は旺盛で幼児であっても
相当な食欲がありました

 

moko-money.hatenablog.com

 

わたしが友だちと出かけるとき
だいたい夫ミキはラムを連れて
実家に行っていたのですが
その日は実家でなく
「ピザの店に行く」と言って出かけて行きました
帰ってきて様子を聞いたら
まだ抱っこ紐で出かける時期だったラムとミキの
2ショットは珍しかったのでしょう
お店の人には
「大人2名様とお子様ですね」と 
ママ今席はずしてますか?前提で話されたり
電車の中では
「パパと二人なの?すごいね」
声をかけられたりしたらしく
ミキはえらくご機嫌でした

今でこそ パパとおこちゃまの二人でのおでかけ
よく見かけるのですが
20年前は なかなかの光景でした

義母に話すと 義母びっくり
母に話すと 呆れ顔

イクメンパパのおかげで
ここまでこれたと 思っています




習い事のこと その2

習っていたものはピアノです
というと「さすが」と言われるのが
ちょっと 苦痛なときがあります

習い事

最初に始めたのは体操教室でしたが
次に始めたのはピアノ教室です


よく遊んでいる女の子がいました
4月生まれの女の子2人とラムの3人で
よく遊んでいたのですが
そのうちの1人がピアノを始めました
習い始めたのはみぃちゃんです

ラムともう一人の女の子(しぃちゃん)も
ピアノを習いたい習いたい と 言い出したのです

しぃちゃんのほうは
ママが高校生くらいまで習っていたそうで
それでも ダメと言っていました
わたしは 小学5年生の時に
やめた挫折族です
全然上手にならなくて 練習も嫌いになった派です

時代でしょうか
わたし自身が 周りに流されてやりたいと言って
やり始めて 挫折した組だったので
友だちがやってるからやりたいと言うラムに対して
ま 今だけでしょ という気持ちを持っていました

W祖母を味方につける

ラムはばぁばに訴えます
「みぃちゃんとしぃちゃんが
 ピアノやってるから
 ラムもピアノがしたい」
えーっと しぃちゃんは まだ やってないよね

甘い義母は即言います
「ラムもさせてもらえばいいのにねぇ」
わたしの性格をわかっている母は言います
「みぃちゃんと しぃちゃんがやっててても
 ラムがしたいんじゃなければダメよ」
「ラムがしたいんだよ」
「みるく お金ないの?」

義母と母 ダブルで嫁・娘攻めです

しぃちゃんのママには
「祖母たちに訴えられて 私が攻められたから
 ラム ピアノ 始めるわ」と伝え
ラムはピアノを始めました

しぃちゃんもしばらく粘っていましたが
小学校に上がってからかな… 
ピアノ始めました

結果的に長続き

結果的に やってよかったのです
とても向いていたのだと思います
ピアノは高校3年生まで続けました

当初は みぃちゃんと同じ先生に習っていましたが
先生が引退されるタイミングで
みぃちゃんは 確か やめたのですが
ラムは続けたいと言い
しぃちゃんの先生を紹介してもらって
結果的に高校三年生までお世話になりました

しぃちゃんより下手ですが
しぃちゃんより長く続け
高校では軽音楽部に入り
今もバンド続けています

不思議なものです

夫ミキは全く音楽と縁はなく
私みるくは ピアノは弾いてみたいけど苦手…

本人がしたいと言うものを
やらせてあげて よかったな…と 
今では思います

本人がやりたいと言っても
やらせなかった サッカーのはなしは また…

習い事のはなし

 

moko-money.hatenablog.com

 



医者になる不安

医者になる不安

ラムが医者になりたいと言い
その夢が近付けば近づくほど
母みるくは不安になりました

日々新聞やニュースで
医療過誤や医療事故そして 過労死の話題がのぼります
そうでなくても人と人の関わりの
番神経を使う職業
大丈夫だろうか・・・と

ですから、中学生の頃からは
医者を助けるAIの開発も
いいんじゃないか?
と、提案しました
もちろん聞き入れることはありませんでした
そして今に至ります

新聞記事を読む

今朝の朝日新聞を読んだとき
昨年亡くなった若い男性医師の方の
記事がありました

初めて、この事件を知ったとき、
やはり医学部じゃない方がいい… と心の底から思いました
ラムが医学生になったあと 友人むっちゃん*1に会いました
彼女が言うには、「環境は改善されている」と

今日の新聞記事には
過労環境をかえるために家族会が
結成されるとありました

教師や医師の過労の記事をよく目にします
人対人の関わりが多ければ多いほど
心労は増していくのかもしれません

それが神経が細やかな人であれば あるほど なおさら

医学生になった今
もう 他の職業にしたら?とはいえません

不安はまだある

本人の前では口には出さないけれど
夫ミキの前では不安を口に出すこともあります
「大丈夫だよ」と
ミキは言います

いろんなことは言えないけれど
大丈夫であってほしいと
心から願います

*1:みるくの友だちの中で唯一の医者

私立医学部に全集中する

共通テストが終わって

共通テストの自己採点のあと
何度も話し合いをしました
みるくは バンザイシステム*1に取り憑かれました
自己採点を入力して
A判定の学校をいくつもいくつも抽出しました

現役時代とは違いA判定がいくつもあったのです

ただ 医学部はやはり難しい
それはわかっていたことです
共テで9割 それが 最終目標
そうでなかったとしても 8割はいる
8割を切ったら 国公立医学部の出願はやめる

切ってしまったのです

それでも傾斜や二次の問題との相性で
不可能ではないと 11月の面談で言われていたこともあり
ラムの心は揺れていました

 

ラムの宣言

予備校との面談の前に言いました
「私立医学部に全集中する 国公立は出願しない」

医学部がダメならば
こういうことがしたいという志望を持っていました

興味がある学部がある大学をいくつか見つけていたので
そちらを提示すると
前期は「医学部に出願する」と言うと思っていたのですが
「前期も後期も国立の医学部は出願しない」
という宣言

ラムの決意は「私立」でした

少しほっとしました
これで二浪はないかも と

そして やめた方がいいんじゃない?と
耳元で囁き続けた
医者という職業への夢を
諦めてくれるだろう と

…そうなんです
父ミキも 母みるくも
医者という職業はやめてほしいなと
願っていたのです

ここから怒涛の日々が始まりました

 

*1:共通テスト終了の数日後 自分の自己採点の点数を入力すると登録した受験生の統計情報をもとに判定が表示されるシステム。どこまで正しいのかわからないけれど、受験生はそれをもとに出願先を決定していくのです

家出の先は夫ミキの実家でした

 

家出の理由はこちら

先日英語のテストのおはなしを書きましたね

それが原因です

moko-money.hatenablog.com

家出

塾のクラスが落ちることになったその日
バス停で待っていてもなかなか帰ってきません
おかしいなと 思っていたら

夫の実家から 連絡がありました
「ラムが家に帰りたくないって うちに来た」
連絡がありました

家出ですね

実家との距離感

ミキの実家は塾からだと
歩いて20分くらいで行けます
小学生の時も
「ばぁばの家に行く」と言って
ひとりで行ったことはありましたが
親にも言わずに言ったのは 初めてです

義母が
「家にタクシーで送っていく」と言うから
「お父さんがもうすぐ帰ってくるから
 駅まで帰してお父さんと一緒に帰ってくるように言って」
と お願いしました
義母からみたら ひどい嫁でしょうねぇ
こういうとき どうするのがベストなんでしょうか
「駅までひとりで帰らせて」
と 頼んだものの
きっと 義母が駅まで連れていくだろうなと
予想はつきました
心配な気持ちもあったので そこは
申し訳ないけれど わたしの計算
案の定 義母は駅までラムを送り
夫ミキに引き渡し
夫とラムは二人で帰ってきました

義母に言われたこと

「かわいそうだから怒らないでね」
義母に言われたような記憶があります
義母との関係性が悪かったら 
そういう言葉にもイラッとしたかもしれませんが
ミキの実家とは絶妙な距離感だと思っています
いらっとすることは ありませんでした

義母に言われるまでもなく
怒るつもりはなかったのだけど
義母に対してあまりいい印象を持っていなかったら
その言葉も いらっとして
無駄に怒ったかもしれません

いい距離感の義母でよかったです


説教をしたかしなかったか

帰ったあとどうしたかは覚えていません
ただ おそらく 説教はしていません
「ばぁばんちがあってよかったね」ということは
言ったかもしれません

いい逃げ道
いい距離感の逃げ道があって
よかったと思っています

兄弟でもいれば
親の言葉も分散できる
一人っ子って大変ですね

兄弟を怒ったりしているときに
少々優越感に浸れたりする
ほんと一人っ子って大変ですね

そう思うと 逃げられる実家があったのは
とてもよかったと思います